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星座の歴史星座を作った人は誰?どうやって決めたの?

それまではっきり決められていなかった星座は、20世紀のはじめにIAU(国際天文学連合)によって整理され、国際的に88個の星座が正式に定められました。

現在の88星座につながる星座を設定(考案)した人物は、7人です。

星座を作った人々

星と人類の関わりはとても古く、17,000年前に作られた南フランスのラスコー洞窟にも星について描かれた跡が残っています。そして少なくとも今から5000年前のメソポタミアでは、すでに星座が作られていたのです。

星は季節の移り変わりや方角を知るうえで重要ですから、私たちの祖先たちはごく自然に夜空を見上げ、星をつなげていったのでしょう。

ここでは、現在の88星座につながる星座を正式に設定した人物を7人紹介します。

プトレマイオス(トレミー)

プトレマイオス・クラディオス/Ptolemaios Klaudios(不詳)

プトレマイオスの画像

2世紀前半頃、ギリシアの植民地・アレクサンドリアに生きていたとされる学者です。生没年や出自は明らかになっていません。英語ではクロード・トレミー(Ptolemy)と呼ばれています。

プトレマイオスは天文学者・占星学者であると同時に、数学、地理学、地図製作学、光学、音楽学なども研究し、広範囲にわたる業績を残しました。なかでも、著書『アルマゲスト』で、地球の周りを太陽や月、惑星が回っているとする天動説を唱えたことで有名です。

『アルマゲスト』の中でプトレマイオスは、ローマ神話などに基づく48個の星座を定めました。これらは「トレミーの48星座」と呼ばれ、うちアルゴ座以外はすべて現在の88星座に引き継がれています。

また、プトレマイオスは『テトラビブロス』という占星術の著書において、星々の位置が世界に与える影響について説明しました。

プトレマイオスは天文学・占星学の領域で、最も大きな影響を及ぼした学者といえるでしょう。

ヘヴェリウス

ヨハネス・ヘヴェリウス/Johannes Hevelius(1611-1687)

ヘヴェリウスの画像

ポーランド・リトアニア共和国のグダニスクで醸造家を営む一家に生まれ、オランダで法学を学んだ人物です。法律家として市会議員の地位に就きながら、妻とともに天文観測を続け、1664年には王立協会(現在も残っている最も古い科学学会)の会員になりました。

ヘヴェリウスの死後、1690年に刊行された『天文学の先駆者』の中で、やまねこ座など10個の星座を設定しました。このうち、ケルベルス座、しょうさんかく座、マエナルスさん座を除く7個の星座が、現在の88星座に採用されています。

ヘヴェリウスの星座はいずれも暗い星をつないだものばかりです。とくに、やまねこ座については「ここにやまねこの姿を見いだすには、やまねこのような鋭い目が必要だ」という言葉を残しています。

ちなみにヘヴェリウスは天文観測用の器具の開発にも非常に熱心で、レンズの直径が15cm、対物レンズと接眼レンズの間の距離が45mにもなる巨大な空気望遠鏡を製作したことでも有名です。愛用していた六分儀を火事で失ったため、二度とひどい目に遭わないようにと、力強い「しし座」と「うみへび座」の間に「ろくぶんぎ座」を作ったといわれています。

バイヤー(バイエル)

ヨハン・バイヤー/johann Bayer(1572-1625)

ドイツ・バイエルン地方出身の法律家です。のちにアウクスブルクに移住し、市議会の法律顧問を務めるかたわら、1603年に星表『ウラノメトリア』を発表しました。

『ウラノメトリア』には画期的な点が2つありました。ひとつめは、はじめて南天の星座に言及したことです。バイヤーが『ウラノメトリア』に記した新しい星座のうち、12個の星座は今も使われています。

ふたつめは、各星座の星の明るい順(または星の並び順)にギリシャ文字のアルファベットを当て、α星、β星、γ星…と呼んだことです。これをバイヤーの名前からとって「バイエル符号」といい、現在でも星を呼び表すのに広く用いられています。

バイヤーは『ウラノメトリア』を著すのに、ペーテル・ケイザーの記録を元にしたとされます。

ペーテル・ケイザーは、地理学者・地図作製者のペトルス・プランキウスに師事したオランダの航海士です。ケイザーは、同じくプランキウスの弟子のフレデリック・デ・ホウトマンと一緒に、マダガスカル島で南天の星々を観測しました。ケイザーは1596年にジャワ島沖で遭難して亡くなりましたが、彼の記録はホウトマンの手によってプランキウスのもとに無事届けられたのです。プランキウスは1598年、記録を元に天球儀を製作し、新しい南天の星座を「ケイザーとハウトマンの12星座」として発表しました。本当の設定者は彼らだというべきかもしれません。

バイヤーが広めた南天の星座の多くは、ケイザーたちが旅の途中で目にしたと考えられる、南半球の生き物がモチーフになっています。

ロワーエ(ロワイエ)

オーギュスタン・ロワーエ/Augustine Royer(生没年不詳)

17世紀にフランスの宮廷付き建築家を務めていた人物です。

1679年に刊行した星図で「はと座」・「みなみじゅうじ座」を設定したほか、「ゆり座」、「おうしゃく・せいぎのて(王笏・正義の手)座」という新しい星座を作りました。

ゆりはフランスの紋章であり、王笏は王様が持つ杖です。どちらもロワーエのパトロンであったルイ14世を称賛するために作られた星座でしたが、現在では使われていません。

ロワイエの星座

ラカイユ(ラカーィユ)

ニコラ・ルイ・ド・ラカイユ/Nicolas Louis de Lacaille(1713-1762)

ラカイユの画像

独学で数学と天文学を学んだ、フランスの天文学者です。

1739年にフランスの子午線弧長の再計測を行った業績を認められ、フランス科学アカデミーに委員として迎えられました。

そしてラカイユは1750年以降、南アフリカのケープタウンにある喜望峰での天体観測を希望し、南の空に17個の星座を新しく設けたのです。そのうち14星座が今も使われています。

ラカイユの作った星座は、当時最先端だった観測器具や、美術の道具をモチーフとしているのが特徴です。ちなみに「テーブルさん座」はケープタウンに実在する山に由来します。

また、ラカイユはプトレマイオスの「アルゴ座」を「とも座」、「ほ座」、「りゅうこつ座」、「らしんばん座」に分けて表記しました。「らしんばん座」のモチーフは磁気コンパスです。磁気コンパスは測量には欠かせない道具のひとつですから、子午線弧長の測量で名を上げたラカイユは、どうしてもこれを追加したかったのかもしれません。

ティコ・ブラーエ

ティコ・ブラーエ/Tycho Brahe(1546-1601)

ティコ・ブラーエの画像

デンマークの天文学者で、占星術・錬金術にも通じた人物です。

有力貴族の後継者として生まれ育ち、もともと公職に就くべく法学を中心に学んでいましたが、総合的に教育を受けるうちに天文学に惹かれるようになりました。

ブラーエを一躍有名人にしたのは、1572年にカシオペヤ座方向に突如現れた星です。この天体は当初、彗星と思われていましたが、ブラーエは詳細な観測を行い、惑星よりも遠いところにある「新星」であると発表しました。

望遠鏡を用いず肉眼だけで観測したにもかかわらず、ブラーエの星表は非常に精密でした。ブラーエは生涯を通じて天文表「ルドルフ表」の完成に向けて尽力しましたが、志半ばで亡くなってしまいます。

ブラーエの遺志を継ぎ、「ルドルフ表」を完成させた助手のヨハン・ケプラーは、のちにブラーエの観測データをもとに「ケプラーの法則」を発見しました。

ブラーエは、1601年に「かみのけ座」を復活させたことで有名です。「かみのけ座」の歴史は古く、紀元前2世紀のギリシアの天文学者ヒッパルコスがすでに記録していましたが、プトレマイオスによって削除されていました。

ブラーエの星座

バルチウス

ヤコブス・バルチウス/Jacobus Bartschius(出生年不詳-1633)

ドイツの天文学者・数学者です。バルチウスが1624年に発行した星図の中には、プランキウスが天球儀に残した南天の星座が6個含まれていました。このうち、「きりん座」「いっかくじゅう座」「はと座」「みなみじゅうじ座」が現在でも残っています。

バルチウスはケプラーと縁深い人物で、1930年にバルチウスはケプラーの娘・スザンナと結婚しました。ケプラーが完成させた天文表「ルドルフ表」の南天の恒星の目録は、バルチウスも編集に携わっています。

バルチウスの星座

現在の星座はIAU(国際天文学連合)が定めた

現在の88星座は、IAU(国際天文学連合)が「トレミーの48星座」に16世紀~17世紀に考案された新しい星座を加えて定めたものです。

20世紀初頭、観測技術の発展に伴い、新しい天体がつぎつぎに発見されるようになると、天文学者たちは新しい星に名前を付ける必要性に駆られました。

とくに常に輝いている星ではなく、明るくなったり暗くなったりする変光星の名前は早く決定する必要があります。そこで天文学者たちは、星座とその境界を公式に定めて、天体の命名に役立てようと考えたのです。

まず1922年に星座の名前と略符が決定し、1928年にそれぞれの星座の境界が決められ、1930年にウジェーヌ・デポルテによって88の星座がリスト化されました。

赤経・赤緯に平行な線で分けられた星座の境界は、区画整理された土地のように分かりやすい、空の住所としての役割を果たしています。

参考

藤井旭『全天星座百科』
河出書房新社2017
「星座の設定者たち」(2002)
https://mirahouse.jp/name/persons.html2019年8月6日閲覧
「星座の創設者を語る。」『ホーキング織野のサラリーマン、宇宙を語る。』(2008)
http://www.astronomy.orino.net/site/kataru/history/person/constellation.html2019年8月6日閲覧
「星座の設定者一覧」『すてられこーど』(2019)
http://stella-record.net/category/%E6%98%9F%E5%BA%A7%E3%81%AE%E8%A8%AD%E5%AE%9A%E8%80%852019年8月6日閲覧
Wikipedia
2019年8月7日閲覧
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